自分を説明することの難しさ

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    自分について話をするとき、よく起こり得る会話より抜粋。

    相手:失礼ですが、どちらにお勤めですか?
    自分:株式会社●●●●●●●というところに勤務しております。
    相手:あぁ、会長さん、よくTVに出ていらっしゃいますよね?
    自分:あ、その方は、別の法人の会長さんで弊社の会長ではないんですよ。
    相手:(あまり納得できない様子で)へぇー、そうなんですか。あ、でも、ワールドビジネスサテライトにも良く出ていらっしゃる方がいらっしゃいますよね…。
    自分:はい、そうですね。
    相手:とすると、hayatoさんも、やっぱり経済にお詳しいんですか?今、株取引をやっているんですが、今後の景気動向を教えて下さいよぉ。
    自分:いや、弊社はエコノミストだけで構成されているわけではありません。コンサルティングやシステムインテグレーションも業としておりまして…。
    相手:(首をひねって)はぁ。とすると、システムコンサルタントか何かで…?
    自分:私は、会社の本社スタッフの1人にすぎず、エコノミストでもコンサルタントでもありません…。
    相手:と、おっしゃると具体的には…。
    自分:法務の仕事をしております。
    相手:ほほぅ!すると弁護士さんですか!
    自分:いやぁ、弁護士ではないんですよ。
    相手:(もはや完全に理解できないといった様子で)はあ?

    事業者向けの情報サービス業を説明することの難しさは、ー莪の相手が一般消費者でなく事業者であるため、商品を想像することが困難であること¬儀舛離機璽咼垢鯆鷆,垢襪海函△2点に集約されると思われる。また、法務の仕事は、最近でこそ、理解を得る機会が増えたものの、まだまだ少数派の特殊な世界である。自分が、日々、大半の時間をかけて取り組んでいることを、どうわかりやすく説明するか、今後の大きな課題である。
    また、逆に言えば、自分は、話し相手から、その人の仕事についての説明を受けたとき、その内容を正しく理解できているだろうか。

    ある一面から見た「怒り」の構造

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      現在の社会はストレスに満ち溢れている。ストレスは、時として他者への怒りに転嫁する。

      怒りは喜怒哀楽という人間の基本となる感情であって、その存在を否定することも無視することもできない。しかし、多少なりともコントロールすることができれば、その分、住みやすい世界になるのではないか。

      思うに、「小さな過ち」については怒りの対象にすべきではない。換言すれば「わざと」「重大な過ち」については(その度合いにもよるが)怒りの対象となることもやむを得ない(もっとも後者についても、「怒り」の対象から除外しても良い場合がある。)が、その他の場合には、怒る側はもう少し耐えてみてはいかがだろうか。もちろん、教育的配慮のある「怒り」もあるだろうから、必ずしもすべての場合に当てはまる基準にはならないが。

      どんなに注意を重ねても回避できない過ちはある。注意を重ねすぎれば、その人の行為自体を萎縮させることになり、社会全体にとってもマイナスである。良かれと思った行為が結果的に良くない結果を招いた場合や、わずかなミスの場合にまで、「怒り」は必要ない。100点満点の人間は存在しえないのである。

      いずれにせよ、人間には、少なくとも1箇所、何らの注意を払うこともなくリラックスできる環境が必要である。

      機器への投資(2)

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        学生生活の再開、家族の増員に伴い、時間の使い方を見直す機会が多い。特に自宅にいる間は、(実際にできているかどうかはともかく)可能な限り家族との時間に充てたいと思うので、無駄な時間は、できるだけ取り除きたい。

        そこで、自分自身のなすべきことを、ある一面から2つに分けると、「まとまった時間を確保する必要があるもの」と「細切れの時間にできるもの」に区別することができる。前者は、知識のインプットやアウトプット作業に充て、後者は、いわゆる事務処理型の作業に充てることが望ましい。ところが、自身の生活を省みると、後者の作業で1日が終了してしまうことが多い。まずは、「細切れの時間にできるもの」を「まとまった時間」に行わない、という基礎的なことから改める必要がある。その方法はいくつも考えられるが、例えば、電子メールの対応を「細切れの時間」にシフトし、「まとまった時間」を確保しようというものである。

        さて、細切れの時間を有効利用するためには、モバイル環境が有効である。ノートパソコンの購入も検討するも、その予算は無いし、購入後に壊れたときの精神的なダメージが多い。また、最近のノートパソコンは軽量化が著しいとは言え、やはり、気軽に持ち歩くには、手軽さには欠ける部分がある。

        そこで昨年の秋に購入したのが、折りたたみキーボード(携帯電話用キーボード)である。(この機種は2008年5月12日をもって販売終了)

        まず、何よりも手軽である。折りたたみ時には、文庫本よりも小さいため、持ち運びは手軽。価格もノートパソコンに比してはるかに安価である。

        次に、gmailを利用していることから、webにアクセスできる環境にさえあれば、電子メールには対応できる。現在の携帯電話は、ほとんどのものがwebにアクセス可能であり、携帯電話さえあれば、電子メールの対応は可能である。今まで携帯電話による電子メール対応を妨げていたのは、文字の入力が親指による操作に限られていたためである。短い文章であれば、親指での操作も不可能ではないが、(自分の場合は)キーボードにより入力した場合よりも著しく時間を要する。これはスマートフォンであっても同様である。スマートフォンは、キーボードが備え付けられているものの、あのキースペースでは、通常のキーボードと同様のタッチは不可能であり、残念ながら、魅力的では無い。常に持ち歩いている携帯電話、それに加えて折りたたみキーボードをカバンの中に入れておく。これだけで、パソコンと同じ状態で電子メールへの対応が可能となる。

        また、副次的な効果も現れる。昨今では、いわゆる通常の電子メールと同程度、携帯電話のメールのやりとりが多い。いわゆる通常の電子メールアドレスを持たず、携帯電話ですべて対応している人も多い。こうなると、自分自身も携帯電話のメールを無視できないし、場合によっては、長文化する。折りたたみキーボードの登場により、携帯電話のメールであっても、ある程度の量の文章を書くことができるようになる。

        その他、このブログを含めた文章の作成、講義や講演のメモ、その他ちょっとした文書の作成にも利用している。ごくわずかな機会ではあるが、必要に応じてwebを見ることも可能である。

        もちろん、この折りたたみキーボードの利用は、ノートパソコンと同じではない。画面は小さく、文章はテキスト形式でしか入力できない。また、office等のソフトウェアを利用することもできない。(もっとも、それらの問題はキーボードの問題ではなく、携帯電話の機能の問題であって、スマートフォン+折りたたみキーボードで問題の一部は解決する。)しかし、それはそれで割り切っている。折りたたみキーボードを利用してもなお、細切れの時間がなお余るのであれば、その分は、他の作業に充てるべきであろう。万能ではないが、文章を作成するツールとしては十分すぎるほどである。

        現在の問題は、この折りたたみキーボードが極めて珍しく、周囲の視線が痛いことにある。カバンから取り出し、キーボードを開いた瞬間、何とももの珍しげな眼差しでこちらを眺めるのである。

        機器への投資(1)

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          いわゆるIT化は、企業や家庭のみならず、学校においても進んでおり、かつての学生時代には考えられなかったほど便利になっている。学内には、イントラネットが整備されており、講義等に関する情報はイントラネットに掲載され、ときには資料もアップロードされている。

          もっとも、残念なことにすべての情報が電子化されているわけではない。必要に応じて講義中に資料が配布されるのは、今も昔も変わらないし、また、イントラネットに資料がアップロードされているとしても、講義にPCを持ち込まない限りは、紙に出力せざるをえない。電子情報や紙が散在していては、整理が困難であるから、すべてを紙で管理するか、すべてを電子化するしかない。

          1年前、大学院生活を始めたときは、分厚いドッチファイルを用意し、科目毎に資料を整理した。ここに、「講義中に自分で書いたメモ」(レポート用紙)、「講義中に配布された資料」、「イントラネットにアップロードされた資料を出力した紙」すべてを綴る。当然のことながら、講義以外にも論文執筆に必要な判例があるから、さらに紙は増えていく。わずか3ヵ月で大量のドッチファイルが生まれた。少なくとも2年間は続く学生生活。そこで、2007年度前期中にスキャナの購入を決意した。購入したのはScanSnapS510。もともと、オフィスでも利用していたことから、その使い勝手は理解しており、自宅でも早速利用。みるみるうちに紙が減り、ドッチファイルは廃棄した。

          講義毎にフォルダを用意し、イントラネットにアップロードされた資料は、そのフォルダにダウンロードする。「講義中に自分で書いたメモ」「講義中に配布された資料」はスキャナが読み込み、PDF形式で当該フォルダに保存する。ファイル名には工夫が必要。多少ファイル名が長くなったとしても、可能な限りのキーワードを盛り込み、後日の検索を容易にする。

          この作業は地球に優しいだろうか。紙をすぐに廃棄するので、無駄遣いとも言えよう。しかし、この点は紙のリサイクルを心がけることで環境に配慮したい。

          紙の保管スペースに苦慮することもなく、手持ちの資料の検索も容易になった。ところが、後日、思わぬ弊害をもたらすことになる。

          (続)


          新年度

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            多くの出会いに恵まれ、多くの有益なアドバイスを頂いた1年でもあった旧年度。特に「30歳はまだ若い!」とおっしゃる方が多い。

            ものの見方は多面的であり、年齢の感じ方は様々である。自分の中で30歳といえば「そろそろ行くべき方向性を固めて安定した生活を送る」年齢であった。しかしながら、これは自分自身の思い込みであろうか。自ら選択肢を狭めていた自分自身を恥じつつ、目の前にあることを着実にこなし、周囲に広がるチャンスを逃さないようにしたいものである。



            NOVA事件に思うこと

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              2007年は一般消費者の生活に影響を与えかねない事件が頻発した1年であった。中でも、2007年の漢字に「偽」が選ばれたことを象徴する、食品業界における賞味期限改ざん問題は、当該企業のみならず、その業界全体にも影響を及ぼしかねない。おみやげへの買い控えや、地域全体への信頼にも影響を及ぼす。これからの企業が負うべき社会的責任は大きく、その範囲は広いことを肝に銘じなければならない。

              中でも、個人的に印象に残っているのは、NOVAが10月26日に大阪地裁に会社更生の申立を行い、11月26日に破産開始手続の開始が決定した一件である。かつての受講生としては、債務者である他の受講生の被害を思うといたたまれない。一部の人を除いては、受講料は安くないはずである。11月26日付の破産管財人のコメントによれば、「一般債権者への配当は極めて困難な見通し」である(それは容易に想像できることではあるものの)とのことであるが、何らかの救済措置が講じられることを望みたい。

              また、記憶が不確かながら、NOVAは一時期、社員の採用数も多かったと思われる。本件では外国人講師の給与不払いがメディアをにぎわせていたが、日本人スタッフへのフォローも気になるところである。

              いずれにせよ、NOVAは以前より財務状況が悪化していたと聞く。立入検査等、行政による指導がなされた段階で事態の悪化を食い止めることができなかったか、また、もう少し早い段階で民事再生の道を検討すれば結論は異なっていたのではないか。

              ブログ未更新中に通読した書籍

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                更新が滞っているこのブログであるが、今は他に注力すべき事項があり、やむを得ないと諦めている。ここでは、未更新中に通読した書式をmemoとして残しておきたい。
                昭和天皇とその時代 (文春文庫)
                昭和天皇とその時代 (文春文庫)
                河原 敏明
                7つの習慣―成功には原則があった!
                7つの習慣―成功には原則があった!
                スティーブン・R. コヴィー, ジェームス スキナー, Stephen R. Covey, 川西 茂
                真実一路
                山本 有三
                中村天風と植芝盛平 氣の確立  幻冬舎文庫
                中村天風と植芝盛平 氣の確立 幻冬舎文庫
                藤平 光一
                不毛地帯 (1)
                不毛地帯
                山崎 豊子

                男児誕生

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                  2007年10月13日(土)14時44分、男児が誕生した。

                  誕生の瞬間に立会い、その後数日間、可能な限り寝食を共にした。「出産後の体力の回復」と「母親としての務め」を同時に進めなければならない女性の力強さを目の当たりにすることができた。(この点については稿を改めたい。)

                  そして、生まれてきた子を「弦生」(げんせい)と名づけた。

                  名前は、およそ2ヶ月前に父と母が同時に思いついたものである。その後も、機会を見つけて候補を挙げてみるものの、当初思いついた名前に代わるものは無い。生まれる数日前に画数の問題もクリアしていることを確認し、父母として最終決定した。決定が早かったこともあり、誕生からすぐに名前で呼ぶことができたのは、嬉しいことである。

                  「弦」は、ピンと張られることによって、音を奏でる。何か1つでも良い、張られた弦に似た、自分らしい筋(すじ)を持った子になって欲しい。しかし、1本だけの弦では何もできない。他の弦と、他の要素と、そして空気と共鳴することによって、初めて響くものである。わずかな自分らしさを大切にしつつも、他と共鳴できる、そんな人間になって欲しいと願うものである。

                  社会には、危険が内在しており、これからの生活において、生まれた子には多くの困難が待ち受けている。病気、事件、事故、天災、挙げれば枚挙に暇がない。ふとしたことで命を落としてしまう世の中であり、命の尊さを教えてくれたのは、2年前に亡くなった従弟である。生きていくことは簡単なようで難しい。だからこそ、生きることにこだわり抜いて欲しい。「生」には、そんな意味が込められている。

                  その他、父母のそれぞれの父親の名前(生まれてきた子にとっての祖父)から、少しずつ要素を頂いて、この名前になった。

                  親は名前に多くの意味をこめ、子供に多くの願いを託そうとする。自分たちの願いは多すぎるだろうか。もし、多すぎるならば、せめて、健康に育って欲しい、ただそればかりを願うものである。

                  脱「だらしのない人間」考(2)

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                    脱「だらしのない人間」考(1)

                    人は注意を受ける。それによって注意された人は、二度と同じ注意を受けまいと成長する。

                    多くの人は、一度、注意を受ければ、その部分を修正し、直すことができるらしい。しかしながら、自分には、この能力が欠けており、同じことを何回注意されても直すことができないことが多い。振り返れば、子供の時分から注意を受けていることのうち、未だに直っていないこともある。

                    注意されたことを紙に書き出してみる。意識を集中させる。それでもミスを繰り返す。いや、決して故意にミスをしているのではない。ふと一瞬、気を抜いたときにミスを犯す。しかも、そのときに限って、注意を促す側の目に留まる。

                    24時間365日、神経を集中させれば、ミスは減るのであろうか。そもそも無理な話である。しかしながら、意識を高める方法はいくらでもあろう。紙に書く、声に出す、対象となる行動を繰り返すことにより習慣づける。あらゆる手段を駆使しなければならない。

                    それが「だらしのない人間」には求められる、ほんの少しの努力なのであろう。


                    防災の日に寄せて

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                      自分自身が臆病者であるからか、仕事の性格からか、リスクについて考えることは多い。防災の日を理由に災害対策を考えているようでは遅いのだが、1つのきっかけとしては十分である。

                      今年は8月1日に災害伝言ダイヤルのテストを行った。毎月1日には「171」を利用してテストを行うことができる。音声による指示がなされるので、それに従って伝言を吹き込めば良いのであるが、テストを行ってみると意外なことに気がつく。

                      (1)30秒以内に適切なことをメッセージを残すことができるか。

                      自分の吹き込んだメッセージは、聞き直すことができるので、吹き込み直せば良いのであるが、パニックの状態の中、残すべきメッセージを吹き込み、それを冷静に検証する余裕があるか。

                      (2)「171」を覚えているか。そして自分の自宅の番号を覚えているか。

                      「171」の存在は、自分が忘れていても、周囲の様子で思い出すことができるであろう。しかし、自宅の電話番号を覚えていることができるか。パニック状態の中ではこれも自信が無い。携帯電話普及の罪とも言えよう。

                      自分自身が常に気をつけているのは、極力、自分の行動を家族に伝えることである。1分1秒の単位まで知らせる必要は無いし、プライバシーに干渉する必要も無い。ただ、お互いがどのような動きをしているか、大雑把に知っているだけでも、安心できるものである。災害時、晴海オフィスから自宅まで歩いて帰るのと、三軒茶屋オフィスから自宅に歩いて帰るのでは、かかる時間が違いすぎる。相手は、それとなく帰路を予想でき、その後の連絡もよりスムーズになるのではないか。どの程度、実践できているかどうかは疑問であるが、自分がなしうる最低限の災害対策として今後とも継続したい。

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