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ある一面から見た「怒り」の構造

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    現在の社会はストレスに満ち溢れている。ストレスは、時として他者への怒りに転嫁する。

    怒りは喜怒哀楽という人間の基本となる感情であって、その存在を否定することも無視することもできない。しかし、多少なりともコントロールすることができれば、その分、住みやすい世界になるのではないか。

    思うに、「小さな過ち」については怒りの対象にすべきではない。換言すれば「わざと」「重大な過ち」については(その度合いにもよるが)怒りの対象となることもやむを得ない(もっとも後者についても、「怒り」の対象から除外しても良い場合がある。)が、その他の場合には、怒る側はもう少し耐えてみてはいかがだろうか。もちろん、教育的配慮のある「怒り」もあるだろうから、必ずしもすべての場合に当てはまる基準にはならないが。

    どんなに注意を重ねても回避できない過ちはある。注意を重ねすぎれば、その人の行為自体を萎縮させることになり、社会全体にとってもマイナスである。良かれと思った行為が結果的に良くない結果を招いた場合や、わずかなミスの場合にまで、「怒り」は必要ない。100点満点の人間は存在しえないのである。

    いずれにせよ、人間には、少なくとも1箇所、何らの注意を払うこともなくリラックスできる環境が必要である。

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