論文を書くということ

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    大学院の講義の成績評価は主にレポートによって評価される。前期のレポートは合計6本。

    論文を書くこと、それ自体は決して苦痛な作業ではない。書くことによって、自分の考えをすることができるし、資料の調査、整理によって、新たな発見も生まれる。書きたいネタもそれなりに持ち合わせているつもりである。今回のレポートも順調に進むかに思えた。しかし、予想に反して、時間は過ぎ、すべてが締め切り間際の提出となった。しかも今回の場合には分量が限定されていたにもかかわらず、苦戦している。この状態では修士論文の作成が思いやられる。

    まず、論文作成に際しては、ある程度の結論が見えていなければならない。「結論ありき」の論文は価値がないが、ある程度の方向性を持っていなければ如何ともし難い。今回、もっとも興味深いテーマとして、米国のe-ディスカバリーについて取り上げたものの、そもそも知識がない分野だけにあって、論文の結論が見えていないまま、資料の収集や論文の執筆にあたってしまった。途中で筆を止めつつ、方向性を検討するのは、非常に息が詰まる作業である。

    次に、参考となる文献や資料が少ないような、新しい分野について取り上げるには、相応の覚悟がなければならない。新しい分野に挑戦挑戦することこそ、論文の意味があるのだが、方向性について、自分自身で責任を持たねばならないし、分量の指定がある場合があっても、判例等を引用することができる、自分の言葉によらなければならない。引用文献が少ないことは文字数にも影響する。今回も、当初の予想に反して、指定の文字数を満たさないまま、結論を導いてしまった。頭の構想段階では書くべきことにあふれていsても、文章にすると予想以上に短くなるものである。

    最後に当然のことであるが、複数の論文を並行して作成する場合の作業工数の割り振り方について。今回の場合には、科目によって相当なバラツキがあり、時間の関係で精度を落とさざるを得なかったものがある。作業工数についてはもう少し精緻に計画を立てるとともに、より早い段階での準備が必要であろう。常に、論文のネタを探し、まとめておかなければならない。

    振り返ると、改めて書かなくとも当然のことばかりである。

    モノへのこだわり(1)

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      概してモノにはこだわりの少ない人間である。
      車は走れば良いと思っているし、また、服装のバリエーションも多いとは思えない。

      強いて言えば、手にする文房具については人と異なる部分が多少ある。

      鉛筆を使い始めたのは2年前のことである。
      すべての筆記用具を忘れ、その場で借りることができたのは1本の鉛筆。文書に目を通すとき、シャープペンシルでなぞりながら読む。シャープペンシルが鉛筆に変わった瞬間、音が違うことに気がつく。鉛筆は、なぞるときに「シャーッ」という耳に心地の良い音である。以来、この独特の音が、文書に目を通す独特のリズムを生み出してくれており、鉛筆を愛用している。

      鉛筆は気分の転換にも一役買っている。鉛筆を「削る」という行動。この作業によって、手と頭は自然とリフレッシュされる。

      鉛筆は、伝統のあるFaber-Castellの9000番のHBを愛用。ほど良いなめらかさと硬さが自分には適している。

      短くなりすぎて使えなくなった鉛筆は、1つの箱の中に無造作に溜め込んでいる。その鉛筆の束が自分の創作の証とも言えよう。箱の中を見ると無性に嬉しくなるのである。

      情報化社会を生きる(1)

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        奇しくも携帯電話の修理と自宅パソコンのOS再インストールを同時期に行わざるを得なかった。

        自宅のパソコンは従来より無線LANが使用できず、原因を切り分けたところ、LANカード側に問題があることが判明。また、シャットダウンが正常に行われないなど、問題が続出していたため、OS再インストールを決意した。

        OS再インストールは、再インストール作業そのものよりも、付随する他のソフトウェアのインストールやデータの移行に時間をとられる。しかしながら、最近はwebメールを利用しているから、メール環境はまったく影響を受けないし、ドキュメントについてもある程度の整理はできている。

        予想以上に影響を受けるのは携帯電話である。
        日頃より携帯電話がなくとも生活ができることを自負しているものの、予想以上に不便を強いられる。連絡がとりたいのに連絡ができない、というのはこんなにもストレスを感じるものか。

        携帯電話同士のメールの本文で名乗ることは少ない。なぜなら、相手のメールアドレスが登録されていれば自動的に相手の名前が表示されるのであって、相手の名前はもはや暗黙の了解。しかし今はこれすらわからない。届いたメールの内容によっては、「すみません。どちら様でしょうか…。」などと、お間抜けな返信をせざるを得ない。

        アナログ派を自負しているつもりが、実はパソコンと携帯電話はもはや不可欠のツールになっている。

        三軒茶屋での日常

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          オフィスが三軒茶屋に移り3ヶ月が経過した。8年間過ごした半蔵門での生活を離れることには相応の不安があったが、思いのほか、この街に助けられている。

          まず、とにもかくにも便利な街である。庶民価格の薬局は数店舗競合しているし、ディスカウントショップも多い。これは山手線の外側のオフィスに勤務する者の特権かもしれない。郵便局、銀行も近く、これもありがたい。

          また、ランチのバリエーションが多いことは大きな魅力である。社員食堂を利用していた頃とは異なり、「お店を選ぶ」ことからスタートしなければならないのは、時折不便なものの、場所柄、溢れんばかりの選択肢が待っている。食費の出費は懐に痛みを感じることもあるが、ランチの楽しさを考えればさほど気になることもない。

          三軒茶屋は、これからの自分に何を教えてくれるのだろうか。



          脱「だらしのない人間」考(1)

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            他に類を見ないほど「だらしのない」人間である。
            どうやら通常の人と比して、「社会生活を営む上で極めて基本的かつ常識的なこと」を行う能力が欠如しているらしい。

            一口に「だらしがない」とは言っても、「時間にだらしがない」「人づきあいにだらしがない」など、その方向性は様々である。自分の場合は、広く捉えると「生活面においてだらしがない」分類に該当できる。

            断罪すればキリがないが、いくつかのパターンを分析し、今後の生活に活かしたい。

            (1)モノの所在−定期券を一例として−

            ある特定の時期を除いて、立ち止まらずに駅の改札を通ることができない人間である。改札を通るためには定期券(PASMO)が必要であるが、立ち止まってガサゴソと探す必要がある。

            なぜ、普段、持ち歩いているものを、わざわざ探す必要があるのか。毎回、無意識のうちに、別のところに入れているからである。

            基本的なポジションはスーツのジャケットの内ポケットである。春や秋など、典型的なスーツスタイルであれば、改札の通行は至ってスムーズ。その場所以外に、しまうべき候補がないためである。

            しかし、この梅雨の時期はどうだろうか。まず、スーツのジャケットを身につけていない。「手に持っている」か、「そもそも持っていない」わけだが、「手に持っている」場合には、うっかり内ポケットから落としてしまう(モノの管理ができないだけでなく、ものの紛失も異常なまでに多い。)可能性があるので、定期券はカバンにしまう。「そもそも持っていない」場合も、同様である。

            カバンの中でも、決まった位置にしまっておけば良い。しかし、いつも違う場所に無意識のうちに投げ入れている。

            冬にコートを着ると、病気は一段と加速する。あるときはコートのサイドポケットに、あるときは、コートの内ポケットに、そしてカバンの中に…。バリエーションが増えるほど、改札の前で足が止まる時間が長くなる。

            ちなみに定期券のみならず、財布も同様である。レジの前でなかなか財布が出てこない私は、後に並んでいる他の客の冷たい視線を浴びている。

            毎回、憂鬱になり、反省する。この繰り返しである。それでも少しはまともになっている。

            完治を目指して、以下の2点を心がけている。

            ■時間に余裕のある行動

            時間に余裕があれば、ゆっくりとモノをしまう時間ができる。そしてまた、仮にモノを探そうとしても時間があれば心穏やかに対応できる。しかしながら、何をするにも人より時間のかかる自分にとって、余裕のある行動は至難の業。

            ■モノの数を減らす

            カバンの中に多くのモノが入っていれば、その中から1つのモノを取り出す時間を確実に減らすことができる。元来、男性としては、多くのモノを持ち歩いていないと気がすまないタイプであるから、これを実行するには、時間を要している。まだまだ減らすことができるであろう。

            (続)

            (写真は使用しているスリップオン社のブルガロ素材の名刺入れ兼定期券入れ)

            手帳から見た自分(6・完)

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              手帳から見る自分(1)
              手帳から見る自分(2)
              手帳から見る自分(3)
              手帳から見る自分(4)
              手帳から見る自分(5)


              自らの手帳感を、
              (1)オリジナリティがあること。
              (2)書き込む「紙」にある程度の上質感があること。
              (3)自由に書き込むことができるmemo部分が充実していること。
              (4)プリントした紙を挟むことができること。
              (5)サイズがA4であること。
              (6)「手帳」という形をなしていること。
              という6項目に整理し、以下、前稿の続きとして(3)以下を考察する。((6)について自明のことであり省略する。)

              (3)自由に書き込むことができるmemo部分が充実していること。

              超・整理手帳本体のスケジュール表は、上部にmemo欄があるものの限られたスペースである。そこでmemoは別冊にし、手帳カバーに挟み込むことにした。このときに用いているのはRHODIAのメモ帳である。



              この形のRHODIAを使用する人をあまり見かけない。RHODIA商品の定番は、上にめくることができ、かつ、1枚1枚を切り取ることができるものだが、現在使用しているmemoはいずれの特徴も満たさない。この理由は、memoに対する考え方にも由来するが、

              ■通常は手帳に挟み込んでおくことができる(タテの長さはA4サイズの2分の1。)とともに、手帳が邪魔な場合には、memoのみを取り外して持ち歩くことができる。(pocketに入れて持ち運ぶことができるサイズであることに意味がある。)
              ■memoは切り取らない。情報の散逸を招く。結局は時系列の整理が理解しやすい。
              ■方眼目盛りがついている。

              ていう点にある。

              (4)プリントした紙を挟むことができること。



              このカンガルーフォルダが、超・整理手帳が持つ、最も優れた機能ではなかろうか。プリントアウトした必要な資料はここに挟み込む。この結果、手帳の中に含まれる情報は著しく増え、また、情報の整理に要する時間は著しく短縮される。

              (5)サイズがA4であること。

              上記(4)とも関連性が高いが、規格の統一は、モノや物事の単純化を推し進め、整理を容易にする。


              手帳は、単なるスケジュール表に留まらない。自分の頭の中を整理するための有用なツールである。やるべきことが多い場合ほど、自分の処理能力が劣るほど、手帳を有効活用しなければならない。しかし、これからは、私達が手帳の使い方に習熟する以上に、手帳も進化をとげる。従って、1人1人が手帳に対する自分自身のこだわりを意識しなければ、そうした進化に踊らされるだけである。


              手帳から見る自分(5)

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                手帳から見る自分(1)
                手帳から見る自分(2)
                手帳から見る自分(3)
                手帳から見る自分(4)


                2006年後半は、6ヶ月分のスケジュール表をプリントし、そのプリントを手帳代わりにすることにより、規格の統一化とデジタルツールとの融合化を図ることができた。しかしながら、この方法も以下の理由により、いとも簡単に頓挫する。

                ■忘れやすい。(「手帳」は「持ち歩くもの」という意識があるため、無意識のうちに鞄に入っているが、単なる「紙」になった瞬間、その他の資料と混在し、忘れやすくなる。)
                ■無駄なインプット作業が増える。(PDA等のデジタルツールを持ち合わせていない以上、「紙に記載する」段階と「パソコンを用いてインプットする」段階の2回のインプットを迫られる。作業回数が多ければ、その分、写し間違いや入力漏れの可能性が高まる。)

                これまでの経験をふまえ、自分自身の手帳観を以下のとおり整理する。

                (1)オリジナリティがあること。
                (2)書き込む「紙」にある程度の上質感があること。
                (3)自由に書き込むことができるmemo部分が充実していること。
                (4)プリントした紙を挟むことができること。
                (5)サイズがA4であること。
                (6)「手帳」という形をなしていること。

                もっともクリアすることが難しい要件は「(5)サイズがA4であること」であり、この条件を中心に選ばざるを得ない。数はかなり絞られる。

                そこで、2007年より現在まで用いているのが、野口悠紀雄先生考案の超・整理手帳である。

                自分にとって、この手帳がベストかどうか、現段階では判断できない。しかしながら、この手帳には概ね満足しており、また、ユーザの声をふまえ改良が図られており、今後にも期待したい。以下、自明である「(6)「手帳」という形をなしていること」を除き、1つずつ考察したい。

                (1)オリジナリティがあること。

                超定番とも言えるこのシリーズにオリジナリティなどあるはずもなく、多くのユーザが愛用する。しかしながら、この手帳には、上質なカバーが用意されており、この点で若干のオリジナリティを保つことができる。Charles&RayEamesのデザインが何とも嬉しい。


                (2)書き込む「紙」にある程度の上質感があること。

                通常の手帳より厚めの紙が用いられており、ボールペンでも安心して書き込むことができる。この手帳は、一覧性を重視しているため、折りたたみ式になっており、通常の綴じられた手帳よりも痛みやすいはずであるが、問題なく3ヶ月使用可能。このことからも丈夫な紙であることを示している。(ちなみに、自分自身は、この一覧性の機能を重要視していない。尚、3ヶ月で一綴りになっているため、1年分を持ち歩くことから開放されるのも1つの特徴である。)

                ((3)以降の考察、続。)

                30歳の兼業学生生活

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                  9年ぶりの学生生活が始まって1ヶ月が経過した。社会人と学生との二足のわらじは、予想以上に充実していると同時に、また、予想以上に厳しくもある。

                  最新のテーマを取り上げたインタラクティブな講義は自分自身の知的欲求に常に刺激を与えている。専門的な分野以外にも関連する講義を聴講し、情報を収集することで、多くの研究テーマが見えてくる。大学生の時分と異なり眠くなることは一切ない。(もちろん、寝ている学生など一人もいない。)自分でも驚くべき集中力である。

                  その分、講義後の脱力感は否めない。また、会社を出発してから三軒茶屋駅までの早歩き、神保町駅からキャンパスまでの軽いジョギングは、運動不足の体にはちょうど良いものの、週末には体力の消耗を自覚せざるを得ない。17時30分に仕事を切り上げなければならないという精神的な圧迫には、なかなか慣れることができないし、一過的な負担とはいえ、学費の出費も心理面に多少の影響を与えている。

                  20代の後半は、「自分自身がどのようにすれば生きていけるか」という課題と向き合っていた。「資格」?「給料」?。力のない自分は、何かにすがることを考えた。しかしながら、どんなにハイレベルな資格を保有していたとしても、その資格だけをもって生きていける時代ではないし、そのことは、既に世の中で証明されつつある。また、企業名という一種の名誉や高いsalaryをもらうことを目標にしたところで、結局は組織である。組織の事情で、目標が一瞬のうちに崩れてしまうこともある。

                  当たり前のことを認識し直すまでに、多くの時間を要した。

                  自分自身が生きていくためには、自分の中に「糧」が必要である。ちょっとした「糧」があれば、たとえ外的要因が自分にいかなる影響を及ぼそうとも生きていくことができる。自分の「糧」の1つとして、自分自身の関心分野でもあり、また、仕事でもある分野の学問と向き合うことを決めるのに、さほどの時間は必要としなかった。

                  2年間の大学院での研究成果が社会に対して少しでも貢献できれば、それはきっと自分自身の「糧」となろう。その成否を決めるのが自分自身の努力次第であることは間違いない。研究者ではない、実務家の立場から研鑽を重ねたい。

                  1ヶ月とは言え、滑り出しは概ね順調であり、こうして勉強できることにこの上ない大きな喜びを感じている。学生生活を支援して下さる皆様に心より御礼申し上げたい。

                  2005年4月7日

                  0
                    早いもので三回忌を迎えた。

                    2年前のこの日、珍しくかかってきた父からの電話は、彼の急逝の知らせであった。

                    前途ある青年を失った者が集う場は、誰もが悲しみを抑えきれない。桜満開のシーズン、奇しくも好天に恵まれた告別式は、「春」という季節を疎ましくすら感じた。

                    人間はどんなことでもやりなおすことができる。そしてまた、苦境を乗り越える力を持っている。私はこのときまで確信していた。しかし、この世界には、どうしても取り返しのつかない事象、そして、消えることのない深い悲しみが残されている。知っているようで受け入れがたい現実である。

                    彼は家族に、友人に、職場の人に愛され、そして、慕われていた。

                    彼の死後、不思議なことに、自分が重要な局面を迎えるとき、彼のことを思い出す。

                    残された者には「生きる」責任がある。

                    手帳から見る自分(4)

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                      手帳から見る自分(1)
                      手帳から見る自分(2)
                      手帳から見る自分(3)


                      (5)2006年後半

                      シンプルながらも、そことなく美しいデザインのQUO VADIS。多くの人に愛用されている理由が良くわかる。大きな不満は無い。これを手放したのは、そもそも購入した際に選んだ手帳のサイズ(正方形・16cm×16cm)が、自分にとっては適さなかったのである。

                      まず、プリントしたmemoを手帳に挟んで保管できる点は、これまでのBURNEYS NEWYORKの手帳から改善されている。しかしながら、現在の主流はA4サイズであり、このA4サイズのmemoを挟むには、A4サイズの紙を折りたたむ必要がある。いざmemoを取り出すときに、紙をバタバタと広げるのは、どうも慌しい。紙の質によっては、memoが劣化してしまうことも気になるところである。

                      次に、従来の手帳よりサイズが小さくなったため、書き込む文字を小さくする必要がある。5年間、同じ手帳に慣れ親しんでいると、気持ちだけ文字を小さくするにも相当な労力を要する。

                      プリントしたmemoとの共存、そして一定の文字の大きさ、これをクリアするために、スケジュール表そのものをA4にすることを試みたのである。

                      おりしもオフィスではIBMのLotus Notesを使用しており、会議等の召集メールを受信し、出席の旨を返信すると、自動的にスケジュール表に組み込まれる。この機能を利用し、会議以外のスケジュールもすべてここで管理することにした。(会議等のスケジュールは部内で共有されるが、プライベートな予定を登録しても、設定により他人からは見えないようにすることができる。)

                      もちろん、パソコンを四六時中持ち歩いているわけではない。(PDAも持ち合わせていない。)そこで、週に1回、むこう6ヶ月のスケジュール表をプリントし、そのプリントを持ち歩いていた。直近の1ヶ月分は「1枚1週間」のレイアウトで印刷し(1ヶ月で4枚)、その後の5ヶ月については、「1枚1ヶ月」のマンスリータイプで印刷する。手帳は一切持たず、薄っぺらいクリアファイルに6ヶ月分のスケジュールのプリント、その他必要なmemoを挟んで持ち歩く。PCの前にいないときに新たなスケジュールが入れば、このプリント版スケジュール表に書き込み、決まったタイミングでLotus Notesに登録する。PCの前にいるときは、その場で登録すれば良い。そして、必ず週に1回(自分の場合には金曜日の夜であった。)、最新版のスケジュール表をプリントする。こうした方法は、IDEA HACKS!でも推奨している。

                      この方法の優れていることは以下の2点に集約できる。

                      ■規格の統一化

                      言わずと知れた名著「知的生産の技術」において、梅棹忠夫先生も規格の統一化の重要性をおっしゃっている。
                      知的生産の技術
                      おおきい記事もちいさい記事も、みんな、おなじ型式をあたえられて、単位化されるのである。そして、その規格化・単位化が、その後のいっさいのとりあつかいの単位になっている。分類も、整理も、保存も、すべてその上でのことである。

                      スケジュール、memoがA4に統一されていることにより、紙の整理が容易になる。(思うに、この世に出回っている手帳というのは、なぜ勝手なサイズが多いのであろうか。)A4であれば、文字の大きさも苦にすることなく書き込みができる。

                      ■変化への対応

                      スケジュールは絶えず変化する。会議・アポイントは相手の都合によりコロコロと時間や場所が変わる。その度に、手帳に書き込んだスケジュールを消し、新たに記載しなければならない。ソフトウェアで対応すれば、そのようなスケジュール変更も瞬時に成しうるのである。

                      カッコをつければ、デジタルとアナログ、両方の良さを活かした方法であったと言えようか。

                      しかしながら、やはりこの方法にも疑問が生じ、現在の手帳に至るのである。(未完)

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